6才の息子が「奈良の大仏を見たい!」と言うので、
夫が突然「車で土日に奈良まで行こう」と言いだしました。
土曜日に仕事を終わらせ夕方6時半ごろ出発し、
夜11時に滋賀県の草津に到着して一泊。
日曜の朝に奈良まで行き、観光して夜11時までには新潟県へ帰ってくるという
ハードスケジュールです。

私の旅の目的は、東大寺の大仏と二月堂の閼伽井屋を見学すること。
そして3年間修復のため入れなかったお隣の法華堂が、
ちょうど昨日(18日)からオープン。
そこを見学し、東大寺を出た後は、三枝祭を来月に控えた率川神社へ参り、
ヒメタタライスズヒメの神前へ、天井画が無事に納まったことの報告をしに行く。
その後は桜井市。
箸墓周辺古墳と三輪山の大物主様にご挨拶。
時間があれ帰りば太安万侶の墓にも行きたいですし、
當麻曼荼羅も見てみたい。

まずは東大寺大仏殿へ
学生時代京都に住んでいたくせに、
ここへ来るのは中学校の修学旅行以来でした。
中学の時とは全く別の感動を覚えました。
世界最大の木造建築に圧倒されました。
この大仏殿建立時の責任者であった行基の父は、高志才智という人で
日本霊異記によると高志才智は、なんと高志の国頸城郡出身。
それが本当でしたら渡来系ご先祖様かもしれません、嬉。
また、余談ですが、平安時代の「くちずさみ」(=口遊)という本に、
日本一の高さを表す、雲太、和二、京三という言葉があります。
(雲太=出雲大社、和二=東大寺大仏殿)
それによると、出雲大社はこれよりも高い木造建築だったわけですから、
東大寺大仏殿を目の当たりにして考えると、やはり想像を絶します。
「それはありえない。一応そうゆうことになっているだけだ。」
と言われ続けてきたわけです。誰もがにわかに信じがたい高さの木造建築。
ところが平成12年、その出雲大社の柱が出土してしまったわけですから・・・

大仏様にお目にかかりました。
さすがの2才児も「わぁー」と感嘆の声!
ずっと神社ばかり追ってきて、突如目の当たりにした奈良の大仏様。
凄い宗教が日本に伝来してきたものだ。
この先どうしようか・・・などと、
物部氏さながらカルチャーショックを受けてしまいました。
この奈良の大仏建造の際、作業者の間に原因不明の病気が流行し
死者が多数発生したと記録されています。
これが当時「祟り」と騒がれたのも無理はありません。
その原因は大仏の金メッキ法にありました。
当時のメッキ法は、水銀と金の合金を塗布し、加熱させ金を残すというメッキの方法
(アマルガム法と呼ばれていますが)ですから、
水銀を加熱し気化させることによって起こる水銀中毒で
たくさんの人が死に至ってしまったのです。
こしひかりも以前、朱で水銀中毒になりかけたかと思ったことがありましたが、
水銀検査の末、体内水銀蓄積量に問題はありませんでした。(^^;
※朱を扱う時は、念のため換気しましょう!

青丹よし・・・奈良の都。
キーポイントは丹(赤)=朱(辰砂)=水銀です。
神道も仏教もキリスト教も、、、
いえいえ、宗教ができるずっと以前の縄文時代から
人類は赤を神聖としています。
東大寺二月堂閼伽井屋へ続く