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カテゴリ:◆大和神話縁の地 の記事リスト(エントリー順)

大和国を行く ~東大寺二月堂閼伽井屋

 【22//2013】

nara1 (5)
閼伽井屋(あかいや) 鎌倉期 重文

ここが私が前々から訪れたかった東大寺二月堂の前にある閼伽井屋です。
中には入れなくなっていて残念。

それにしても・・・

「蛇の道は蛇」ですね。


今日のこしひかりのあとりえは、少しレベルアップしますね。

閼伽井屋
ここは修二会に際し、毎年3月12日(旧暦2月)に
この井戸よりご本尊にお供えするお香水(閼伽水=あか水)を汲む神事が行われる場所です。
752年、実忠和尚が二月堂で初めて修二会を行ない、諸神を勧請した際、
若狭の遠敷明神が献じたものであることから
「若狭井」とも呼ばれているそうです。

この井戸が福井県小浜市遠敷と繋がっていて、
若狭の一之宮、若狭彦神社の神宮寺で、東大寺お水取りの10日前に
「お水送り」という神事をするのだそうです。

東大寺ではこの時にだけ湧き出る聖水を閼伽水として
ご本尊の十一面観音様にお供えする。

興味深いです。

なぜ若狭の遠敷明神なのか、
(遠敷明神=ヒコホホデノミコト・トヨタマヒメの夫婦神)

東大寺要録によれば、勧請の際に遠敷明神だけが
漁に夢中になっていて遅れて参られたため、
神々の咎を受け、毎年二月の若狭からのお水送りはそのお詫びの証なのだといいます。

福井県の遠敷は、読んだまま「お丹生」であり、
水銀産出地でありますから、奈良への朱の供給源だったことが
神事として残ったのではないかと考えたわけです。

先に申しましたとおり、東大寺の大仏を作る際に
使われた水銀の量は50tとも言われていますし、
当時「青丹よし」と言う程の水銀を消費していたことを考えると、
いくら奈良に水銀鉱山がたくさんあるとはいえ、
それだけでは賄いきれなかったのではなかろうか。

そして聖水は、赤、「あかみず」ですから。

閼伽(あか)は、サンスクリット語アルガ(=argha)の音写であり、
フランス語やヴェネツィア語で使われているアクア(=aqua)と語源は同じだといいます。

また、修二会(しゅにえ)の語源ですが定かではなく、日本だけのものだそうです。
しゅにえ。「朱丹会(得)?」かもしれないと思うのは、私だけでしょうか。

前々から私は、水分信仰にどうして赤が関係が深いのか謎でした。
これはネパールのクマリ信仰も同じように思いますし、
それが日本の「水分」に転訛したのでしょう。


そしてここ、東大寺二月堂のご本尊は十一面観音様。

吉野裕子氏の著書「山の神」によると
「私見によれば、十一面観音の頭部の仏像も、その原型はおそらくナーガである。」
と記されていて、私も同感です。

全てが納得。
よくできていますね。

そして水には火がついてくる。
この二月堂のお水取りは、同時に(松明の)火祭りでもありますし
若狭のお水送りの神事もやはり火祭りのようです。
火はダイレクトに「赤」を表しますし、火と水は生命の根源。



もし朱のアマルガム法が秦氏による技術だとしたら
こしひかりが八幡さんの末社の天井画に主に朱を用いたのも
検討はずれではなかったことになるか、
などと、帰路にそんなことを考えていました。


次回は若狭湾を巡ってみたいと願うこしひかりでした。

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大和国を行く~東大寺大仏殿編

 【21//2013】

6才の息子が「奈良の大仏を見たい!」と言うので、
夫が突然「車で土日に奈良まで行こう」と言いだしました。

土曜日に仕事を終わらせ夕方6時半ごろ出発し、
夜11時に滋賀県の草津に到着して一泊。
日曜の朝に奈良まで行き、観光して夜11時までには新潟県へ帰ってくるという
ハードスケジュールです。




私の旅の目的は、東大寺の大仏と二月堂の閼伽井屋を見学すること。
そして3年間修復のため入れなかったお隣の法華堂が、
ちょうど昨日(18日)からオープン。

そこを見学し、東大寺を出た後は、三枝祭を来月に控えた率川神社へ参り、
ヒメタタライスズヒメの神前へ、天井画が無事に納まったことの報告をしに行く。

その後は桜井市。

箸墓周辺古墳と三輪山の大物主様にご挨拶。

時間があれ帰りば太安万侶の墓にも行きたいですし、
當麻曼荼羅も見てみたい。



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まずは東大寺大仏殿へ

学生時代京都に住んでいたくせに、
ここへ来るのは中学校の修学旅行以来でした。

中学の時とは全く別の感動を覚えました。
世界最大の木造建築に圧倒されました。

この大仏殿建立時の責任者であった行基の父は、高志才智という人で
日本霊異記によると高志才智は、なんと高志の国頸城郡出身。

それが本当でしたら渡来系ご先祖様かもしれません、嬉。


また、余談ですが、平安時代の「くちずさみ」(=口遊)という本に、
日本一の高さを表す、雲太、和二、京三という言葉があります。
(雲太=出雲大社、和二=東大寺大仏殿)
それによると、出雲大社はこれよりも高い木造建築だったわけですから、
東大寺大仏殿を目の当たりにして考えると、やはり想像を絶します。

「それはありえない。一応そうゆうことになっているだけだ。」
と言われ続けてきたわけです。誰もがにわかに信じがたい高さの木造建築。

ところが平成12年、その出雲大社の柱が出土してしまったわけですから・・・


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大仏様にお目にかかりました。

さすがの2才児も「わぁー」と感嘆の声!
ずっと神社ばかり追ってきて、突如目の当たりにした奈良の大仏様。

凄い宗教が日本に伝来してきたものだ。
この先どうしようか・・・などと、
物部氏さながらカルチャーショックを受けてしまいました。


この奈良の大仏建造の際、作業者の間に原因不明の病気が流行し
死者が多数発生したと記録されています。
これが当時「祟り」と騒がれたのも無理はありません。

その原因は大仏の金メッキ法にありました。

当時のメッキ法は、水銀と金の合金を塗布し、加熱させ金を残すというメッキの方法
(アマルガム法と呼ばれていますが)ですから、
水銀を加熱し気化させることによって起こる水銀中毒で
たくさんの人が死に至ってしまったのです。


こしひかりも以前、朱で水銀中毒になりかけたかと思ったことがありましたが、
水銀検査の末、体内水銀蓄積量に問題はありませんでした。(^^;

※朱を扱う時は、念のため換気しましょう!

nara1 (4)
青丹よし・・・奈良の都。

キーポイントは丹(赤)=朱(辰砂)=水銀です。

神道も仏教もキリスト教も、、、
いえいえ、宗教ができるずっと以前の縄文時代から
人類は赤を神聖としています。


東大寺二月堂閼伽井屋へ続く

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