この連休に若狭湾へ行って参りました。
今回の旅の目的は、
ある歴史家さんがおっしゃる「真名井=ヒスイである」という推測を、
確かめに行くことを目的とした旅です。
自分なりの結論から言いますと、
う~ん、越の人間として、真名井と直接ヒスイが結びつかなかったのが
少し残念でもありました。
確かに真名井=「ヌの井」と解釈できますが、
「真名井」がヒスイであるというよりも、もっとアバウトな意味で
「常緑」を意味しているのではないかと、私は個人的に感じました。
真名井=「例えばヒスイのような常緑の」=「永久に湧く神聖水の最高敬称」
という意味なのかも?しれません。
その話は後まわしにして、
若狭湾は凄いところでした。。。
何が凄いって・・・
「ヤマトとイズモ」というよりも「神と仏」がダイレクトに共存しているということ。
そして、ここに辿り着いた文化が、
旧鯖街道を伝って都へ運ばれたことを、
今でも感じることができる場所でした。
(鯖街道=近江針畑を通って鞍馬まで最短ルート)
文化だけではなく、朱とともにですね。
真言宗のお寺が多いのも納得です。
さすが、福井県ですね。心も金銭的にも裕福な国(^^)
ここの素晴しい文化を、小さな漁村で脈々と維持され続けていることに
感動せずにはいられません。
越の国から高速道路にのって行きますと、
敦賀ICで一旦高速道路が途切れていて、
外部者が入りにくい、閉ざされた聖地とでも言うんでしょうか。
わざわざ行かないと行けないのですが、行く価値があります。
敦賀ICで高速を降り、若狭路を西へ車を走らせること1時間、
小浜市に入ります。
まずは小浜市に鎮座する遠敷明神様にご挨拶。
細かい解説は割愛するとして、
古事記をご存知ない方は、浦島太郎と乙姫様が
若狭にお祀りされていると解釈してくださいね。
詳しくは、過去のこしひかりのあとりえ記事の
←左のカテゴリ◆大和神話縁の地の
「大和国を行く~東大寺二月堂閼伽井屋」をご覧ください。
ここに記した東大寺の本尊にお供えする閼伽水となる鵜の瀬の水脈が、
上流より、神宮寺→若狭彦神社(上社)→若狭姫神社(下社)を清めています。

若狭彦神社 若狭國一之宮
福井県小浜市龍前28-7
祭神:彦火火出見尊(山幸彦命)

神域でしか見ることのない、杉の巨木を眺めながら
参道を歩きます。本殿は参道に対して東を正面にしています。
鬱蒼とした森の中に佇んでいました。
かなり前方にせり出した形の流造の本殿。
檜皮葺のようです、美しい形です。
手前は拝殿跡のようです。

ご神水
水銀が含有していたりして・・・冗談です。

神水に浸るたくさんのイモリたち。

続いて、下社の若狭姫神社へ
若狭姫神社
福井県小浜市遠敷65-41
祭神:豊玉姫命
上社と下社というのは、「二つで一つ」といいますか(当たり前ですが)
お互い依存し合い、なくてはならない陰と陽のような関係を感じます。
ここの場合は夫婦神ですが、
諏訪大社の上社下社でも洩矢命と建御名方命は、やはり陰と陽を感じます。
一方「奥宮」のことを「上社」と呼ぶ場合も少なくないですが、
そういう場合は、山頂に祀り、里でお守りするというふうに、
陰陽の上社下社の意味とはまた別な感じを私は受けます・・・
が、実際はどうなんでしょう?

玉造る 若狭の国の国なかに
神代の神を 拝む今日哉
柳田国男
※この「玉造る」は「若狭の瑪瑙」のこと

神紋が宝珠に波。
潮盈珠、潮乾珠の「宝珠」でしょうけれど、
形は仏教の如意宝珠ですね。

拝殿左手の千年杉

安産の犬の日の岩田帯は、ここが発祥の説もあるようです。
いわた帯=斎海帯(ゆわた)、斎=忌=祝という字ですから、
祝うワタツミの「わた」、海=産み、なるほど。
トヨタマヒメを祝いまつりての安産祈願だったのですね。

そして、水源に近い上流の神宮寺へ
ここがまた素晴しく良かった。
紅葉シーズンは多分最高です。
鵜の瀬の水源は、ここの上流の上根来という地名の場所です。
地名は正直です。
豊玉姫がご出産の折、産屋は鵜の羽で葺いたと伝わりますが、
この「鵜」は、川鵜か、海鵜か?
結構気になっているこしひかり。(笑)
もしかすると、
この鵜が、福井の気比に来て、能登の気多に来て、新潟の居多に来ている
かも、しれません。

神宮寺に来て、しばし感動・・・。
ヤマト心は本当に素晴らしいです。
お薬師様のお姿に心洗われたこしひかり。

奈良の東大寺へお水送り神事が執り行われる広場。
閼伽井屋も必見です。
一度、神事を見に来たいと願っています。
それを見ないことには
赤(朱)=閼伽で、それがアクアに通じるかどうかなんて
わかりませんから・・・(笑)

神仏習合というよりも、
ここは神仏が一体になっていました。
この旅はひきつづき丹後(丹波)へとつづく・・・