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大虫神社・小虫神社(丹後国式内社)

 【01//2013】

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丹後国式内社 大虫神社

祭神
大己貴命(明治16年調 与謝郡神社明細帳は大山咋命を祀るという異説を併記)
少童命(明治14年に合祀した阿知江神社の祭神)
大田命(阿知江神社と同時に合祀した床浦神社の祭神)

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巨石…手水石の名残りでしょうか?



住所 京都府与謝郡与謝野町温江

鎮座地は野田川の中流域で加悦谷(かやだに)と称される地の東方台地上、
大江山連峰の西山裾に位置する。
加悦谷には国の史跡に指定されている蛭子山古墳や作山古墳などの古墳や遺跡が密集し、古代丹後地方における最先進地帯であったと見られている。

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以前は大江山中腹にあったことが記されています。
うう、拓本取らせてもらいたい・・・


創建伝承

かつては温江字小森谷の小虫神社とともに大江山中腹の池ケ成(いけがなる)という地に鎮座し、「虫宮(むしのみや)」と呼ばれていた。往昔大己貴命が沼河姫と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という悪鬼が現れ、その毒気に当てられた姫が病気に罹り大己貴命が嘆いていると、小虫神社の祭神である少名彦命が八色の息を吐きかけて槌鬼を追い出して姫は回復したが、今度はその息のために人や動植物が虫病に苦しむようになったため、少名彦命は「小虫」と名乗ってそれぞれの体内から害源である悪虫を除くことを、大己貴命は「大虫」を名乗って体外から病を治すことを誓い合い、鏡を2面作ってそれぞれ分け持ったことから、「大虫」「小虫」の神として崇められるようになったという。
また、用明天皇の第3皇子麻呂子親王(聖徳太子の異母弟)が大江山にいた土蜘蛛という鬼賊を征伐するに際して、自ら刻んだ神像を納めて立願したという伝説があり、他に億計王(おけのみこ。後の仁賢天皇)と弘計王(をけのみこ。後の顕宗天皇)が即位前に潜伏したとも伝えられている。

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境内

国史上では『文徳天皇実録』に従四位下に叙せられた記事があり、『延喜式神名帳』では小虫神社とともに名神大社に列し、現存する『丹後国神名帳』には「正一位大虫明神」と記されている。

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室町時代初期に池ケ成から現在地へ遷座したというが、遷座の事情や経緯は不明。

現社地が属す温江は、『和名抄』に見える与謝郡謁叡(あちえ)郷の遺称地とされる。

                   



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小虫神社

祭神
少彦名命
火産霊命(明治10年に合祀した広垣神社の祭神)
大山祇命(広垣神社と同時に合祀した鬼人見(きじみ)神社の祭神)

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祭礼は大虫神社と合同で行われ、神楽と太刀振りが奉納される。

                以上 ウィキペディアより引用

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信仰の対象にはなっていませんが、
二神を思わせる御座石のような石も境内に存在する。


今回の若狭丹後の旅は、ここに来ることが目的でした。





槌鬼という悪鬼の毒気に当たった奴奈川姫が病気に罹り
少彦名命が助ける。


興味深い伝承。


少彦名命が吐いたとされる「八色の息」、これは一体何なんだろうか。
このくだりは、越の八口伝説を彷彿とさせる。

私は温泉の硫黄分から出る亜硫酸ガスのようなものを連想していますけれど。
毒にも薬にもなるもの、天然石のパワー(鉱物)、温泉。。。

槌鬼という大江山の鬼の存在。


越の人間でここまで来たのは私の他にいるだろうか?
と思うほど、ここはのどかな田園地帯。

大江山麓反対側(東)のさほど離れていないところには、
元伊勢三社を祀っているのも気になるところ。


大江山麓の国指定遺跡群は、一体何を物語っているんだろうか・・・
ここは、出雲と能登、越を結ぶ中継地点なのだろうか。


独り言のようにつづく


Category: ◆若狭路、丹波(丹後)

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