前回のブログで「草生水」について触れましたけれども、続きです。
昨日、松代町史を読んでいましたら
松代の室野というところに「草生水原遺跡」という縄文後期前葉の遺跡があり、
近隣の原遺跡からアスファルトが付着した石器が出土していることが
記されていました。
わざわざ「草生水原」に住んでいた縄文人。
水はあるのに飲めない場所ですから、
越の国の縄文人は、あの豪雪地帯で冬場は
これを燃料に暖をとっていたのではないか・・
などと考えてしまいます。
また、草生水は接着剤として
土玉にコーティングなど、顔料としても綺麗ですね!
草生水の炎=火焔土器
知れば知るほど、この結びつきが強くなるのは私だけでしょうか・・・

草生水小屋(上越市牧区)泡は天然ガス
割れた土器などを接着する場合
硬めのアスファルトなら簡単にくっくきそうですね。
膠や漆では、木や磁器ならくっつきますが、
塗ると多少痩せますし、土器の接着は多分無理??
最近、趣味で欠けた陶磁器の金継ぎをしているので、
機会があったら膠や漆での土器の接着を試してみたいと思います。
新潟県は方々から草生水と天然ガスが湧きだしていて
黒川村の「黒川」はこれだという説も頷けます。
ちなみに
大正生まれの私の祖母に「くそうず」と言ったところ
現代語のように通じました(笑)
「くそうず」は越後の方言で、昔の人ならみんな知っている。とのこと。(^^;
大正生まれ恐るべし・・・
祖母は戦時中、糸魚川市能生の棚口(ませぐち)という所で
臨時教員をやっていたのですが、
生活に必要なガスの殆どは天然ガスで賄っていた、とのことです。
囲炉裏も、お寺の蝋燭ですらガス灯だったそうです。(@@;
また、日本書紀では
巻第二十七 天智天皇七年七月(668)「越国献燃土与燃水」と記述があり
越の国からアスファルトと草生水が
天智天皇に献上されたことが記されていますが、
はっきりと石油を「燃える水」と記しています。
天智天皇は、燃料として燃やされてみたのでしょうか。
柏崎市西山町坂田というところに「草生水献上場公園」という公園があり、
ここが天智天皇に献上された草生水を採取した場所と言い伝えられていますが、
8月に献上行列を再現したお祭りなどもあるそうなので、
機会がありましたら見に行ってみたいと思います(^^)
燃える土、燃える水・・・
水と炎は陰と陽の関係だけだと思っていた私にとって、
「燃える水」という表現は新鮮です。
陰陽が一つになっている水、
くそうずは、神の水ですね。