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越後上布と講座のお知らせ

 【10//2014】

日曜日の朝放送されたNHKの「小さな旅」という番組、御覧になられましたか?

幻の上布と名高い、南魚沼の越後上布の特集でした。

古より神社に布を奉納し、腕の上達に願いを込める織姫達のこころに触れ、涙が出ました。

「小さな旅」のテーマ曲ともマッチしていましたね!(^^)



越後上布については、2007年の中越沖地震で生産存続の危機を知り、

越後上布シリーズとして、何点か作品に描き残そうと決意しました。


2009年には越後上布、小千谷縮が世界ユネスコ無形文化遺産に登録され、

翌年の2010年に、直江津駅前の新施設「学びの交流館」のオープンに伴い、

開催させていただきました拙個展「越後国頸城文化」と題しました金屏風絵展では、

奴奈川姫の越後上布シリーズの展示とともに、越後上布の展示も行いました。



縄文時代より越後アンギンとして親しまれ

今も受け継がれている、越後の苧麻の文化。

苧の糸を紡ぐように、連綿と後世に伝えてほしいと願って止みません。





さて・・・

まだ先の話なのですが、


NPO法人頸城野郷土資料室さんが主催される
「くびき野カレッジ天地びと」で、講義をさせていただくことになりましたので

お知らせです。


講義タイトル  ヌナカワヒメと越後上布

講義日程 平成26年5月24日(土)午後2時~3時(予定)

場所 高田小町 (上越市本町6丁目)


当日は、越後上布を持参してお話したいと思っております。




Category: ✿越(新潟・富山・石川・福井)

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見たよ!

越後上布はじめてみましたv-55

湿度調整のため暖房もない寒い中で織っていく作業は本当に大変だと思います

昔の人にはただただ脱帽です。「嫁は織手第一、器量はどうでも良い」と‥それだけ大事な稼ぎだったということでしょうね。v-8



Posted at 18:32:16 2014/03/10 by omura

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期待しとりますv(^o^)v

またよろしくネ(^o^)

Posted at 00:08:28 2014/03/11 by 赤城おろし

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omuraさま


番組にありませんでしたが・・・

模様を逆算して糸の状態で染め、それを織るそうなのですが、
よくぴったり合うなぁ・・・と関心してしまいます。
昔の人って凄いですね。

Posted at 11:09:10 2014/03/11 by こしひかりのあとりえ

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赤城おろしさま

ありがとうございます。
こちらこそ、宜しくお願い致します。

松苧神社が私を呼んでいます(笑)

Posted at 11:11:45 2014/03/11 by こしひかりのあとりえ

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七つ参り

> 松苧神社が私を呼んでいます(笑)

 5月8日に登るんですか?
 あ、まだ七歳じゃありませんか?
 尤も、松苧神社は色んな所に在りますからねぇ。

Posted at 01:49:08 2014/03/12 by 赤城おろし

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赤城おろしさま

七つ詣りは、数えで7つということなので、去年登らせていただきました(^人^)

旧ブログで消してしまいましたが、
御射山社祭のドジョウ流しも、また行きたいです~。
行くにはもう一匹必要ですが、って、そのためにかいっ(笑)

Posted at 12:26:37 2014/03/12 by こしひかりのあとりえ

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越後上布のご講演、素晴らしいですね\(^^)/

こしひかりさまの絵画やブログを拝見したりしているうちに、
古代の織物、特に越後の織物について深く考えるようになりました。

『魏志倭人伝』の倭国の献上品、神話の天の石戸の捧げもの、
大嘗祭に奉納される、天皇のお召し物・・・絹か麻か・・

絹は希少品だけれども、倭国の伝統の”麻織物”も皇室では大切にしています。
神話の女神は機織りの伝説と密接ですし。

世界史でも玉作りと織物作りの文化は、どちらも高い文化としてリンクしたます。
こしひかりさまの越後上布のお話で、どんどん謎を開明してほしいです。
期待してます(^^☆




Posted at 09:20:47 2014/03/13 by tachibana

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tachibanaさま


> 『魏志倭人伝』の倭国の献上品、神話の天の石戸の捧げもの、
> 大嘗祭に奉納される、天皇のお召し物・・・絹か麻か・・
>
> 絹は希少品だけれども、倭国の伝統の”麻織物”も皇室では大切にしています。
> 神話の女神は機織りの伝説と密接ですし。


tachibanaさま、コメント有難うございます。

)^o^(わく♪)^o^(♪わく♪します♪♪♪

魏志倭人伝の時代に絹が入ってくる以前は、もともとは全て一般には麻織物で、
絹は、卑弥呼や奴奈川姫のような特別な女王のみだけが着用していたかもしれない・・・

という私の妄想から、絹織物を着ている奴奈川姫のお姿を描いた作品が、
2010年の作品「銅鏡」でして、
魏志倭人伝のコウチコウリュウモンみたいなイメージの、
錦の絹織物(紅花染めかも❤)のイメージのお召し物にしました。


でも、ときおり冬は麻織物と毛皮で寒さを凌いでいたこともあったのかもしれない・・・
思って描きましたのが、2010年の「古志の冬」でして、上布を重ね着し、
首に毛皮を巻いて寒さを凌ぐ姫のお姿を描かせていただきました。(#^.^#)

題名を高志ではなく古志にしたので、出雲での個展でも大好評でした。

あ、それと、じつは・・・

自分の作品の話ばかりで大変恐縮なのですが、

2012年作の
「祝 古事記編纂1300年 神在月~高志から出雲へ~」 H180×W5m20cm 

という作品では、神輿の後に続くたくさんの女官達が、
それぞれヒスイの勾玉と越後上布の反物を持っています(#^.^#)

作品の出来はともかく、残すための作品として描けてスッキリしました。

私は古代において、上布とヒスイは、同じくらい重要なアイテムではなかったかと考えていたので、
tachibanaさまのお考えは、号泣してしまうほど嬉しいです。

♪♪♪\(~o~)/\(~o~)/♪♪


大嘗祭、忌部一族は、長野の麻績から北上して上越に移り住んだのかもしれません。
糸魚川市天津神社に祀られるフトダマノミコト。

玉造部門と麻織部門・・・

中世、十日町の越後上布は、上越の直江津港から都に出荷しておりました。
謙信の時代には、越後上布を積んだべんざい船が、賑やかに行き交っていたのでしょう・・・

これは私がずっとあたためているテーマなのですが、、、
売るための絵ではなくて、後世に残すための絵、

これは大作として、死ぬまでに絶対描き残しておかなければならないと思っています!


上杉家が、春日山城の鬼門神社に奴奈川姫を祀った理由や、
十日町市の松苧神社に、毎度一軍を引き連れ参拝し、軍配などを治めた理由が
涙が出るほどよくわかります。

でも、そのことを誰も言ってはくれないんです・・・

だから声を大にして、しゃべってまいります♪(嬉)



Posted at 11:54:17 2014/03/13 by こしひかりのあとりえ

Comments

tachibanaさま2

>軍配などを治めた理由が

スミマセン、漢字が「納めた」が「治めた」になっていました(汗)



けっこう大事なことを書き忘れてしまいました。。。


絹がやがて日本に根付いてから、

絹=冬用
麻=夏用

となっていき、現在は、麻織物は盛夏だけの贅沢品となってしまいました。

通常は、

10月~5月は 絹の袷
6月と9月は 絹の単
7月と8月は 絽・紗(薄絹)、麻(上布)

一般的な嫁入り道具の喪服でも、(いつお葬式があるかわからないので)
オールシーズン対応できるように、
袷(春秋冬用)と単(6,9月用)と絽(盛夏用)と3枚仕立てることを考えますと、

大嘗祭では、絹でも袷、単、上布と、素材もさまざま、色もさまざまで、
それも何十、何百反も献上されたのではないかなぁ?などと想像してしまいます。。。


あ、あと、素材の選択肢としては「紙衣」(かみも)もあります!!

おとといの3月12日は、ちょうど東大寺の2月堂お水取り神事の日でしたが、
まさしくあの神事で紙衣を着ているそうです。
(私の参考文献の中の「千年の色」という本に紹介されていました!)

私は、この本を読んでから、古代人の冬の衣類は紙だったかもしれない!!と思うようになりました。上布より毛ばだった紙の方が冬は100倍あたたかそうです。

古事記の妻問いで、奴奈川姫は自らの肌を「楮のように白い」と表現しているのを思い出します。

ただ、日本の酸性土では、頑張っても麻しか証拠は残りませんから、
考古の方は、古代人が紙を着ていた~なんて言っても、
信じてはくれないかもしれません・・・(^~^;)

日本の和紙はやっぱりすごいです。。。

明治の大福帳なんて、引っ張っても全く破れないですし、
この丈夫さに感動した外国人が「模造紙」を考案したという気持が
よくわかる気がします。(^^)

話がそれてしまいました、素材の格調のお話ですが

上布などの麻織物は紡いでいるものなので、手間がかかる分、
値段はものすごく高いですが、織り物としての格調は絹よりもずっと下で、
越後上布がどんなに貴重で、希少でも、あくまでも「普段着」です(TT)、、、

おそらく古代でも、民衆は麻織物や毛皮を着ていたはずですし、
絹など、王くらいしか目にすることができない珍素材で、
やはり古代においても絹の方が麻よりずっと格調が高かったと思うのです。

現在でも、1反1000万円する越後上布より、3万円の正絹の方が
あくまでも素材の格調は上・・・(TT)


ただ、夏の越後上布は、びっくりすることに、裸でいるよりも涼しく、
ありとあらゆる素材の中で、夏をあんなに涼しく快適ですごせる素材は他に無い!!
と、現代人でも思うのですから、値段が高く、格調は低い普段着でも、
謙信の時代に需要が高かったということは頷けます♪♪

麻は欠かすことのできない神代からの素材なのでしょうね!!



Posted at 13:57:22 2014/03/13 by こしひかりのあとりえ

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tachibanaさま3

興奮のあまり、反ってわかりにくい文を羅列してしまいした(TT)

3月12日お水取は、おとといではなく昨日でした。m(__)m

Posted at 17:16:33 2014/03/13 by こしひかりのあとりえ

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ご丁寧なコメントありがとうございます_(..)_
古典の世界を誠実に再現しようとされておられる、こしひかりさまの姿勢に感銘します~☆

考古学者の方は、日本の土の中から出てきたものを、日本の古典でなくて、中国の文献によって、再現しようとするので、せっかくの出土品のイメージが湧かない部分が多いのです(ノ_・。)

それで、日本の古典のしかも神々を、考古学と神社などいろいろな角度からの研究成果により、ビジュアルに描いて下さる、こしひかりさまの絵画は、まさに驚きだったのです\(^o^)/

土の中から出土したヒスイは、魏志倭人伝に書いてあるから重要というよりも、日本の古典の中で、アマテラスとスサノオがやりとりするから、あるいはその産地が天皇の名前になってるからこそ、日本人に大切だとわかるんだと思います(o・・o)/~

と同じに、"あらたえ"という麻織物が大切だとわかるのは、神話の中で天の岩戸にお隠れになったアマテラスオオミカミに、種を植えることから始めて、一生懸命育てたものを捧げた、と書いてあるからであり、また天皇の一世一代の大嘗祭に、阿波忌部氏のみが、麻布を献上して、神衣としてお祭りする祭司があるからです。

玉と織物を作り、神を祭る家柄の忌部氏ですが、出雲の忌部氏・阿波の忌部氏のルーツは、まさに越の地なのではないでしょうか?越の地で高まった殖産興業・伝統工芸品・祭司で、天皇家を支えたのが忌部かしら……と。

……など、私みたいなものの古代妄想も、チラッと頭にとどめて、こしひかりさまのさらなる探求を進めていただけたらと願ってます(^^)/~~~

Posted at 00:09:45 2014/03/14 by tachibana

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植物繊維

それから、麻も紙も植物の繊維ということでは、古代人には、どちらも一緒ということなのかも、なるほどと思います。野山に自生していた植物から、いろいろな使用法を考えたと、感心しちゃいますね(o・・o)/~

そして戦国時代の上杉謙信などの逸話も実に興味深いです。……そういえば、今、諏訪大社の神宝として納められている鉄鐸なども、どう考えても弥生から古墳時代頃の遺物ですが、戦国時代の武田氏と諏訪氏の戦いの後の和平の時に境界の河川のところで、守矢氏が鳴らした記録があるそうですから、やはり祭司の継承力は相当なものだと思います(((^^;)

Posted at 00:30:43 2014/03/14 by tachibana

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麻績村の麻については、安曇氏がやって来て、漁業で使う網の栽培のために、普及した、ということを書いている人もいました。
けれど麻の衣服は、どう考えてもずっと縄文時代の昔からあったようですし、八ヶ岳の縄文人も着ていたと思います。
信濃と越は、信濃川や姫川にそう塩の道を通じて交流してたでしょうが、越の方が生活が豊かなだけに、ものづくりを芸術に高める力があったように思います。

Posted at 09:05:18 2014/03/14 by さらしなの里

Comments

tachibanaさま

>越の地で高まった殖産興業・伝統工芸品・祭司で、天皇家を支えたのが忌部かしら……と。

ありがとうございます。tachibanaさまのお考えに感動(TT)です。

越の国の人間は、縄文時代から大珠を作り、アンギンを編んでいたのですものね。(TT)
自生していた苧麻でアンギンを作り、いつしか本麻の種を植えて育てるようになり・・・
食す国のまつりごとを支えた忌部氏。

「食す」には、お召しになられるという意味もあることを知り、まさしく!と感じていました。今も、御幣に麻は必需品ですし、天照大神様の「神宮大麻」という言葉にもあらわれている気がします。

ついでに、なぜか、忌部と思しき名字の家に嫁いでしまった自分にも、多少縁があるのかなぁなどと思いたいです。(^^;

和紙は、旧高柳町(十日町市の北東)が和紙のメッカでして、昔は30軒以上合ったそうなのですが、今はうんと減ってしまい、それでも現存する和紙工房は2か所あります。
一か所は、門出和紙という、かの良寛も愛用していたといわれる和紙で、私も愛用していまして、サクヤヒメ様の社殿の天井画にも使用させていただきました。

もう一か所は、奴奈川姫が苧麻と五葉松を携えて降臨したと伝わる、松苧神社の麓に伊沢和紙という工房があります(涙)

本当に・・・夏は上布、冬は紙衣を着ていたのかもしれません・・・


自分は絹にも楮紙にも麻紙にも絵を描くのですが、動物性である絹は、どうしても劣化が早く、植物性、とくに麻の繊維(日本画では楮に麻の繊維を入れた麻紙と呼ばれるものなのですが)はやっぱり一番強いみたいです。

本麻は、漁師の網の使用などに適している、と地元の麻屋さんがおっしゃっていました。

その麻屋さんが、今回の講座のお話をくださったのですけれども・・・なので、私も越後上布をしゃべろうと・・・(^^;そしてら、偶然TVでも放送されて・・・あまりにもつながるので、こわいくらいです


>……そういえば、今、諏訪大社の神宝として納められている鉄鐸なども、どう考えても弥生から古墳時代頃の遺物ですが、戦国時代の武田氏と諏訪氏の戦いの後の和平の時に境界の河川のところで、守矢氏が鳴らした記録があるそうですから、やはり祭司の継承力は相当なものだと思います(((^^;)

そうでしたか!すごいですね!あの鉄鐸・・・ちょうどこの間、諏訪大社の宝物殿で見てきたところでした。
なぜ「さなぎ」なのかなぁと思っていました、、、「薙ぎ」とも通じるようですし、イザナギ、「誘ぐ」とも通じるような。
鉄の古代語がさなぎであるとも・・締結の折に鳴らす邪気祓い?ガラガラヘビの鳴き声かとも思ったりして(^^;
諏訪だけのものかと思いきや、日光でも出土しているとかで、自分の目で確か見に行きたいです。

Posted at 13:02:33 2014/03/14 by こしひかりのあとりえ

Comments

さらしなの里さま

神主さんの持つ「大幣」は「大麻」とも書きますが、
紙垂と大麻が、古来より神の「お召し物」であったからと考えてみたりもしています・・・

大麻(本麻)は、うちのお店の結納品で友白髪として使用したり、建前神事の御幣に使う大工さんが買いに来られたりで、我が家にもたくさん仕入れをしているのですが、栽培に許可が要り、生産する人も年々減っているのか、残念ながら毎年値上がりする一方です。(TT)

値上がりする一方で、友白髪に大麻を使うお茶屋さんももうほとんど見なくなりましたし、他の結納品では、マニラ麻を代用しているみたいです。

店にある大麻は、長さ3~4mくらいありますが、麻屋さんの話によりますと、苧麻より大麻の方が、繊維が長いから漁業の網に適しているということのようでした。


これをこよって紐を編むと、びっくりするくらい強い紐ができるので、よく紐を編んでいたずらしています(^^)
そういえば、前のブログで麻のことを書いた時に知ったのですが、信州でも有名な七味の中に入っている(噛むとジャリっとする粒)のも大麻の種らしいです・・・。(@@;
火が通っているので、発芽はしないそうですが・・・知らないうちに食べいていたことに、びっくりしました。

Posted at 13:47:27 2014/03/14 by こしひかりのあとりえ

Comments

松苧降臨

自分の作品の話ばかりで失礼します。m( )m
共感して下さる方がなかなかいらっしゃらないので、嬉しくてつい・・・(;;)

少し写真のエッジが強すぎて見えずらいのですが・・・
2010年の、松苧(まつお)降臨という作は
奴奈川姫が、苧麻と五葉松を携えて松苧山に降臨している作品です。

この周辺には、姫にまつわる伝説がたくさんあります(::)
姫飼っていった犬が死んで埋めたと言われる「犬伏」など、
ずいぶん細かい伝説まで・・・


Posted at 14:09:46 2014/03/14 by こしひかりのあとりえ

Comments

((((((((((@_@;)忌部氏とゆかりの……!?

驚きです!!
ヌナカワの人は、忌部かしら?三輪かしら?……ミワは、大国主の系譜とすれば、
忌部氏かも……という考えはずっとありました。

……新潟方面に忌部氏見つけられなかったんです(´・c_・`)?

阿波忌部氏は、渡来人などの説ありますが、渡来人と麻織物・玉作り・宮中祭司△の関係より、日本の縄文人との関係の方がよほど密接です(^^)v

他に鏡作りの技術者も率いてることからの発想とみられますが、鏡作りはかなり悪戦苦闘(ノ_・。)!?してますし……

こしひかりさま周囲の忌部氏を伺い、ホントに驚いてます/~~~

Posted at 01:21:24 2014/03/15 by tachibana

Comments

tachibanaさま

おはようございます。
そんなに良いものではないと思うのですが、、、(汗)よく本名かと聞かれますが、これは旧姓でして、、

本名がばれてしまいますが、これに関しては、結構自信を持って疑っている部分もあります。

普段は祝儀袋の宛名書きも仕事にしているので、一日平均30名くらいの方のお名前を毎日代筆しているのですが、同じ名字の方が多いと感じます。
他にもこの地には三輪さんも、多くはないですが、いらっしゃいますし、、関係あるかどうか、蓑輪、箕輪、蓑和さんも、とても多いです。
偶然かもしれませんが、三輪さんはわかりませんが、諏訪さん、伊部や井部姓、新潟県でみると、突出して頸城には多いです。
新潟市の方が圧倒的に人口は多いですのに、不思議です。
偶然かもしれませんが。

忌部が伊部になっていると知った時、だからか、と思いました。
岡山の備前焼きを地元の方が伊部焼きと呼ぶのも、忌部が作ったいんべい(瓶)だからで、、
実際、備前の忌部神社は伊部にありますし、、、

そういえば、、信州善光寺の付近は三輪という地でしたが、これも何か関係があるのでしょうか。

Posted at 07:29:53 2014/03/15 by こしひかりのあとりえ

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tachibanaさま

http://namaeranking.com/?search=%E5%90%8C%E5%A7%93%E5%90%8C%E5%90%8D&surname=%E4%B8%89%E8%BC%AA&tdfk=%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C

これを見ると、新潟県内では三輪さんも上越だけ突出して多いみたいですね!
気になって調べましたら数秒で出てきました。
なんて便利なサイトなのでしょう。

Posted at 07:39:03 2014/03/15 by こしひかりのあとりえ

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新潟市の人口は80万強、上越は20万人程ですので、確率としては高いように感じます。(笑)

Posted at 07:47:38 2014/03/15 by こしひかりのあとりえ

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善光寺と建御名方

長野県な話しになってるので、参入させて下さい。
善光寺のあるところは、もともとは、建御名方富命彦神別神社が城山にあるように、
建御名方とその御子が開拓して治めた地とされてます。水内(みのち)の神とされ、諏訪の神とともに、日本書紀にもでてきます。
高天の原勢力に押されて、諏訪に撤退。
仏教伝来とともに、善光寺として祭られたそうです。こんな地に、無宗派の大きいお寺があるのも納得できます。
朝廷側の信濃国造の関係者が、監守したりしてるようです。
諏訪大社上社の大祝は、神(みわ)氏です。
それで、長野市や諏訪市付近に、建御名方と大国主ゆかりの、ミワ姓や地名も多いのだとみられます。
ヌナカワの忌部氏は、大国主の進出と姻戚関係とともに、ミワ(三輪、神)の名前になったのかもしれないです。
朝廷の忌部氏は→斎部氏と、縁起にいい文字に替えたようなことが、全国でもあったようにも思われます。
こしひかりさまの探したサイトは、すごいですね!!
こんな便利なサイトがあると感心しました。

Posted at 09:58:13 2014/03/15 by さらしなの里

Comments

たびたびすみません(汗)

井部姓におきましては、全国の井部さんの40%が新潟県上越市に集中しているようです・・・

http://namaeranking.com/?search=%E5%90%8C%E5%A7%93%E5%90%8C%E5%90%8D&surname=%E4%BA%95%E9%83%A8&firstname=&tdfk=%E5%85%A8%E5%9B%BD

伊部さんは新潟県では柏崎市(西部が旧頸城)が殆どのようです、おもしろいです。

でも、偶然かもしれません(笑)

Posted at 10:01:00 2014/03/15 by こしひかりのあとりえ

Comments

さらしなの里さま

同時書き込みになってしまいました(嬉)

教えていただきありがとうございます。
善光寺の三輪が、前からだいぶ気になっていたのですが
やっぱりでしたか!(T▽T)

三輪さんは一流芸術家さんに多い姓ですね!(^^)日本画家、陶芸家・・・
信州は、藤森さんも優秀なご家系でいらっしゃいますね!


>[ 823 ] 信濃と越は、信濃川や姫川にそう塩の道を通じて交流してたでしょうが、越の方が生活が豊かなだけに、ものづくりを芸術に高める力があったように思います。

新潟県は雪が多いですが、米と魚が採れる安心感(と言ったら怒られそうですが)があるせいか、のほほんとしています(TT)
あまりにものほほんとしすぎていて、斐太遺跡の横の来年開通する予定の新幹線駅の「上越妙高」という名前も去年決まったばかりで、市民苦笑いといった感じです。
どうして「上杉謙信駅」にしなかったのでしょう。。。(T~T)もう決まってしまったからしょうがないですが、インパクトのかけらもなくナンセンスだなぁと・・・

このままでは、来年せっかく新幹線が開通しても、信州の方にとっては、金沢までの単なる通過駅に過ぎないのが目に見えてます。

信州の方は、観光、商業にもみなさん長けていらっしゃるので、うらやましいです(TT)

いま、必死に「ここはお諏訪様の生まれ故郷ですよー」と訴えています。。。

先の公開講座でも「上越は謙信だけじゃない!!」と言ったのですが(^^:
・・・手ごたえはありましたが、実際どれだけの人がどう思われたのかはわかりません。(TT)

お金のことはいいたくないのですが、どう考えても全国の諏訪信仰の規模を考えれば、億、兆規模の経済効果が見込まれるのは分かっていることですのに、いったい私の住む市は何をやっているんでしょう・・・(T皿T)

私の話に県議さんがお一人興味を持って個展にも来てくださいましたが、まだまだ布教せねばならないと感じている次第です(TT)

Posted at 11:03:35 2014/03/15 by こしひかりのあとりえ

Comments

新潟県に・・・

諏方さん・・・

直系の方の分家さんではないでしょうか?
びっくりです・・・(@@;


Posted at 12:19:22 2014/03/15 by こしひかりのあとりえ

Comments

諏訪大分社は新潟県が第一位

新潟県が約1500社、長野県が約1000社で、群馬県は500社以下。信越地方で3位以下の都道府県を、圧倒的に引き離してます(^^)/~~~

諏訪さんが新潟県に多いのもナットク。
神社、祭司、地名そして苗字などの探求でいろいろわかってきますねo・・o)/~

忌部氏は、千葉にも神武天皇の時代にやってきて、安房神社付近に上陸。麻栽培を普及。総(ふさ)の国名に。

伊勢の神麻続機殿(かんおみはたどの、続は績からきているそうです)神社は、神麻の連(むらじ)の先祖を祭り、伊勢神宮に奉納する神衣を織る人々の鎮守の神です。

忌部氏は、日本海側から太平洋側へ進出しているようにみられます。漁業を司る海人
族とも係わるようにみられるのは、"麻"と係わるからと、こしひかりさまのお話しから、わかってきました(^-^)v

Posted at 19:20:28 2014/03/15 by tachibana

Comments

諏訪大社分社です(((^^;)

社分→分社
神麻の連→神麻績の連

スマホはパソコンで打つより手軽ですが、
慣れなくて……申し訳ないです。。(〃_ _)σ∥

そして、麻織物と忌部氏とヌナカワの関係△がとても気になっていたので、こしひかりさまのお話が、実に興味深く長いコメントになってしまいました(((^^;)

こしひかりさまの「ヌナカワヒメと越後上布」はそれくらい大切なテーマと期待してます~★*☆♪

Posted at 20:05:03 2014/03/15 by tachibana

Comments

tachibanaさま

お忙しいところ、コメントありがとうございますm(__)m
新潟県は全国で神社が一番多い県ですが、とりわけ上越は全神社数のうち、約35%~40%が諏訪神社で、そんな土地は全国他に例はなく、その理由は単純に江戸時代の新田集落の開発で信州からの移住者が多かったからとは、一言で言えないのではないかと思っています(^v^)/

諏訪さんが周りに多くいらっしゃるのは存じ上げていたのですが、新潟に諏方さんがいらっしゃったとは驚きでした。
名字、すごいですね!数秒で出てくるインターネットにも感動してしまいました。

Posted at 22:40:24 2014/03/15 by こしひかりのあとりえ

Comments

tachibanaさま

忌部氏が伊部や井部姓になったという証拠があればよいのですが、、、(笑)
tachibana さまにいろいろご教示いただき、実り多い一日になりました(*≧∀≦*)
ありがとうございましたm(__)m

Posted at 22:58:47 2014/03/15 by こしひかりのあとりえ

Comments

「上杉謙信を育んだヌナカワ姫の国」

上越妙高駅のキャッチコピーにして、春日山の謙信公銅像と、こしひかりさまのヌナカワ姫の絵画入りポスターを掲げましょう\(*^-^*)/

駅を通過しただけの人も、絶対に帰りに立ち寄りたくなるはず(^^)v

*吹上・釜蓋遺跡 弥生時代のヒスイや碧 玉の玉作り遺跡
*斐太遺跡 東日本最大の高地性環濠遺跡
*斐太神社 式内社
*旧奴奈川小学校跡 女神・天皇・将軍名として古典に名称を残す
*居多神社
*五智国分寺
*小林古径美術館

上越の火焔土器
米の文化
その他地域の伝統産業 麻織物・酒作り・和紙作り

もちろん妙高山麓の池の平・赤倉温泉などの四季の大自然

直江津湊の歴史と海の幸

……

金沢のようなきらびやかさはなくても、日本人の心に染み入る「深さ」がある地、
それが上越と思います(*^^*)v

こしひかりさまも、おそらくそうした長い歴史の伝統の流れに育まれて、素晴らしい画家の先生になられたのだと思います。フレーフレー/~~~☆


Posted at 12:13:26 2014/03/16 by tachibana

Comments

tachibanaさま

> 金沢のようなきらびやかさはなくても、日本人の心に染み入る「深さ」がある地、
> それが上越と思います(*^^*)v

ありがとうございます。m( )m

きっと上越のみなさんが泣いて喜びます。

古径記念美術館もありますし、建築家さんが喜ぶ古径邸もありますので
3大夜桜100万人観桜会に、是非お越しください\(~o~)/←観光PR

tachibanaさま、是非♪越の国へ♪

こしひかりにご案内させてください(#^.^#)

Posted at 13:00:53 2014/03/17 by こしひかりのあとりえ

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