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大和国を行く~東大寺大仏殿編

 【21//2013】

6才の息子が「奈良の大仏を見たい!」と言うので、
夫が突然「車で土日に奈良まで行こう」と言いだしました。

土曜日に仕事を終わらせ夕方6時半ごろ出発し、
夜11時に滋賀県の草津に到着して一泊。
日曜の朝に奈良まで行き、観光して夜11時までには新潟県へ帰ってくるという
ハードスケジュールです。




私の旅の目的は、東大寺の大仏と二月堂の閼伽井屋を見学すること。
そして3年間修復のため入れなかったお隣の法華堂が、
ちょうど昨日(18日)からオープン。

そこを見学し、東大寺を出た後は、三枝祭を来月に控えた率川神社へ参り、
ヒメタタライスズヒメの神前へ、天井画が無事に納まったことの報告をしに行く。

その後は桜井市。

箸墓周辺古墳と三輪山の大物主様にご挨拶。

時間があれ帰りば太安万侶の墓にも行きたいですし、
當麻曼荼羅も見てみたい。



nara.jpg

まずは東大寺大仏殿へ

学生時代京都に住んでいたくせに、
ここへ来るのは中学校の修学旅行以来でした。

中学の時とは全く別の感動を覚えました。
世界最大の木造建築に圧倒されました。

この大仏殿建立時の責任者であった行基の父は、高志才智という人で
日本霊異記によると高志才智は、なんと高志の国頸城郡出身。

それが本当でしたら渡来系ご先祖様かもしれません、嬉。


また、余談ですが、平安時代の「くちずさみ」(=口遊)という本に、
日本一の高さを表す、雲太、和二、京三という言葉があります。
(雲太=出雲大社、和二=東大寺大仏殿)
それによると、出雲大社はこれよりも高い木造建築だったわけですから、
東大寺大仏殿を目の当たりにして考えると、やはり想像を絶します。

「それはありえない。一応そうゆうことになっているだけだ。」
と言われ続けてきたわけです。誰もがにわかに信じがたい高さの木造建築。

ところが平成12年、その出雲大社の柱が出土してしまったわけですから・・・


nara1 (3)
大仏様にお目にかかりました。

さすがの2才児も「わぁー」と感嘆の声!
ずっと神社ばかり追ってきて、突如目の当たりにした奈良の大仏様。

凄い宗教が日本に伝来してきたものだ。
この先どうしようか・・・などと、
物部氏さながらカルチャーショックを受けてしまいました。


この奈良の大仏建造の際、作業者の間に原因不明の病気が流行し
死者が多数発生したと記録されています。
これが当時「祟り」と騒がれたのも無理はありません。

その原因は大仏の金メッキ法にありました。

当時のメッキ法は、水銀と金の合金を塗布し、加熱させ金を残すというメッキの方法
(アマルガム法と呼ばれていますが)ですから、
水銀を加熱し気化させることによって起こる水銀中毒で
たくさんの人が死に至ってしまったのです。


こしひかりも以前、朱で水銀中毒になりかけたかと思ったことがありましたが、
水銀検査の末、体内水銀蓄積量に問題はありませんでした。(^^;

※朱を扱う時は、念のため換気しましょう!

nara1 (4)
青丹よし・・・奈良の都。

キーポイントは丹(赤)=朱(辰砂)=水銀です。

神道も仏教もキリスト教も、、、
いえいえ、宗教ができるずっと以前の縄文時代から
人類は赤を神聖としています。


東大寺二月堂閼伽井屋へ続く

Category: ◆大和神話縁の地

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Comments

あらぁ~

一言言って下されば、お会いしに駆けつけたものを。。。
そして、大和水銀鉱山産の辰砂をあげられたものを。。。

Posted at 18:23:11 2013/05/21 by Cocoloco

Comments

丹生水銀鉱山は

 先の黄金週間に行きました。

 で、丹生神社・丹生中神社、女人高野丹生山「神宮寺成就院」(丹生大師)、丹生山「近長谷寺」に行って御朱印を頂いてきました。
 丹生水銀鉱山跡にも行ってきました。
 此処に限らず、歴史を支えた(?)場所に行くと感無量です。

Posted at 22:39:36 2013/05/21 by 赤城おろし

Comments

Cocolocoさま

Cocolocoさまこんにちは。
やはり大和は辰砂ですね。(^^
大和水銀鉱山産の辰砂、欲しかったぁ~!
砕けないですけど観賞用に…(笑)
お水送りの時の閼伽井屋は中に入れないのですね、残念。

Posted at 08:52:55 2013/05/22 by こしひかりのあとりえ

Comments

Cocolocoさま

お水送りではなく、こちらはお水取りの方でした、すみません。

Posted at 08:56:10 2013/05/22 by こしひかりのあとりえ

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赤城おろしさま

え!そうでしたか(^^
偶然の丹生巡り、ニアミスでしたね!
機会があったら一度三重の丹生の方にも出向いてみたいと思っています。

Posted at 09:02:51 2013/05/22 by こしひかりのあとりえ

Comments

辰砂ではないけど…

 本物(?)は「これが此処で採れた鉱石ですよ」って、神宮寺成就院のお母様に見せてもらいました。
 全体がベージュ色で、赤い筋が入っていました。

 ところで… 個展は6月1日に行く予定です。よろしくm(_^_)m
 その時に丹生鉱山(廃鉱)入口の石 持って行きますね、赤い部分(辰砂)は入ってないけれど…(^_^;)

Posted at 01:50:14 2013/05/23 by 赤城おろし

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Re: 辰砂ではないけど…

>  本物(?)は「これが此処で採れた鉱石ですよ」って、神宮寺成就院のお母様に見せてもらいました。
>  全体がベージュ色で、赤い筋が入っていました。
>
>  ところで… 個展は6月1日に行く予定です。よろしくm(_^_)m
>  その時に丹生鉱山(廃鉱)入口の石 持って行きますね、赤い部分(辰砂)は入ってないけれど…(^_^;)

えー赤城おろしさま、個展にいらしてくださるんですか!(TT)感激の涙!
丹生鉱山(廃鉱)入口の石、是非見せていただけるのを楽しみにしています。
辰砂鉱は(あたりまえですけど)ずっしりと重いです。
こしひかりは、辰砂の砕いて絵の具になった方を忘れなければ会場に持っていきますね。

Posted at 09:28:09 2013/05/23 by こしひかりのあとりえ

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鉱山跡の石

> 丹生鉱山(廃鉱)入口の石、是非見せていただけるのを楽しみにしています。

 いや、興味をお持ちで、お邪魔じゃなければ差し上げようと思っていたのですが…(^o^)

 そう言えば、昨年”東京ミネラルフェア”で「黒辰砂」の標本を買ったのを思い出し見てみたら「丹生産」でした(^_^;)

Posted at 22:10:18 2013/05/23 by 赤城おろし

Comments

赤城おろしさま

>お邪魔じゃなければ差し上げようと思っていたのですが…
わーい♪うれしいです♪鑑賞します♪

鉱物は原石から砕いて絵の具にするまでが本当に大変で…
おそらく赤城おろしさんが水銀鉱山いただいたという鉱物の中のベージュ色の部分は、絵の具を作る側からみれば、全て不純物ということになります。
私が実際に作ったことがあるのは緑青(孔雀石=マラカイト)なのですが、砕いた後不純物を取り除く作業が容易ではありませんでした。
不純物を取り除く作業は糸魚川ヒスイでもさんざんやりました。

実際、こしひかりのHPの「駒ヶ岳伝説」という屏風作品ですが、馬の身体の部分は、全て自分が精製した糸魚川ヒスイを使っております。

牛の部分は黒曜石と糸魚川ヒスイです。大国主命が乗った牛の体には、諏訪(=黒曜石産地)とのご縁という意味も込めています。個展にこの屏風作品も展示しますので、いらっしゃったときに見ていただけたらと思います。

鉱物の表面の朱を採取するには、おそらく水につければ出てくるかと思いますが、やはり砕かないことには大量には採取できないのではないかと思います。ちょっと実験してみようかなぁ…
それにしても当時の人はすごいですね・・・。

そして黒辰砂ですか。ご縁なものですね♪(^▽^)

空気中の硫黄分の比率と温度で黒っぽくなるのかな。
人工的な朱の作り方は、日本では企業秘密になっていますが、硫化水銀に硫黄を化合させることは間違いないと思います。

それがいつから日本で作られるようになったのか、勉強不足でまだわかりません。
1700年代の中国の天工開物という技術書に朱の作り方は記されているのですが、文庫で3000円もするので、まだ読めていません。(笑)
ご興味あれば是非。

アマゾン「天工開物」→http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%B7%A5%E9%96%8B%E7%89%A9-%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-130-%E5%AE%8B-%E5%BF%9C%E6%98%9F/dp/4582801307/ref=wl_it_dp_o_pC_S_nC?ie=UTF8&colid=3G8Z0INVPE2PH&coliid=IR1XRP4RFJHO8

Posted at 09:19:09 2013/05/24 by こしひかりのあとりえ

Comments

赤城おろしさま

すみません。
うろ覚えで書いてしまいました。
1700年代ではなく17世紀明の間違いでした。

以下、ウィキペディアより
天工開物(てんこうかいぶつ)は中国の明末(17世紀)に宋応星によって書かれた産業技術書。中国の産業技術史を展望するための書籍として評価されている。

Posted at 09:27:43 2013/05/24 by こしひかりのあとりえ

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