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カテゴリ:◆出雲神話縁の地 の記事リスト(エントリー順)

忌部

 【06//2017】


先日ご縁をいただいた

阿波の国人から

プレゼント🎁をいただきました‼️

🙌😍

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こういったプレゼントはとても嬉しいです‼️

絵描きの資料として活用させていただきます。



左の本は玉(ヒスイ)の考古資料で、

右の本は麻の本で、忌部資料満載です!


私も仕事で大麻を扱う為、結納の友白髪がいかにしてできるのかを

まずこの本冒頭のカラー写真で興味深く知りました!



阿波忌部というのは、どこから来たのだろう。

と考えると、忌部が全国で活躍する前は、

奴奈川の分家が阿波へ行ったと考えるのが

自然なのかもしれません。



玉(ぬ)と麻(ぬの)作りを、

奴奈川(瓊の川=布川)では縄文時代からやっていたのですから。


本はまだざっと目を通しただけなのですが、

西日本の弥生古墳は、東日本の縄文弥生がベースになっていることを

無視してはならないのだと感じました。



忌部という名前自体は、斎瓶(いんべい)=伊部焼(備前焼)が

発生源なのかもしれないと考えてます。


こしひかりも、忌部に嫁いでしまった以上、

これを機に古語拾遺をもう一度読みなおしてみようかな

という気になりました。



この本の他にも、たくさんの資料を送ってくださった

阿波の国人に感謝申し上げます。




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本日の直会です。


サメがおいしい季節になったので、

子供が大好きなサメカツを作りました。肉よりヘルシー🎵

チーズをサンドするのが、私流です。



糸魚川の方からいただいた純米雪鶴を

諏訪の御柱のお猪口で❣️






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文芸たかだ表紙絵

 【03//2017】



かれこれ15年くらい前に私が描いた、

杉みきこ先生の小説の挿絵。


この度、文芸たかだの事務局長さんから、

表紙にしてもいいかとお電話をいただいたので、


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まさかの表紙になりました!



事務局長さんが、

長い間これを保管してくださっていたことにも感動しました。


実物の倍の大きさに引き伸ばされているので

恥ずかしいですが、墨をたらしこんで描いた挿絵、

懐かしいです。





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2006年秋 鬼灯の表紙絵



表紙絵として依頼されたものは、

けっこう真面目に描いていました。


二色刷りなので、いかに綺麗に色を出すかを

考えるのが楽しかった。




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2007年冬 縦型信号の表紙絵

大理石の模様を活かして描いた作品です。



信号が縦型なのは、こちらでは当たり前。


どうして縦型なのかって、

雪国では、信号が横向きだと

雪に覆われて見えなくなってしまうからです。


縦なら、雪に覆われても、

かろうじて青は見えますよ。笑


地元の信号も、時代とともに

だんだんと平たいLED信号にかわってきましたが、

雪は大丈夫なのかしら。






表紙絵は、他に桜などもあります。




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さて今、糸魚川のフォッサマグナミュージアムで

六反田南遺跡の遺物を展示しています!

北陸系、信州系、東北系の土器も混ざっています。




能登の真脇遺跡にやって来た人は、

こちらでヒスイを手にし、

青海の寺地遺跡で御柱を建て、



青森へ向かう人もいれば

諏訪へ向かう人もいたのでしょう。


お土産のたくさんつまった土器を頭に乗せてやってきて

ヒスイとこれと交換ね❣️

などと、交渉していたのかもしれません。



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そんなことを考えながら

能登の等伯というお酒を

珠洲焼きのお猪口でいただいていました。


能登で生まれた長谷川等伯も、珠洲焼も大好きです。


能生産の甘エビで

乾杯❣️

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お礼参りin能登④珠洲

 【02//2017】

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能登半島の先端、

珠洲へ‼️


珠洲というと、

日本海の荒波と、鈍色の空のイメージが強かったのですが、

すごく明るい観光地でした。


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実はこしひかり、珠洲まで来たのは

今回がはじめてです。


訪れたことがないのに、お諏訪さま物語(後半部分)に

須須神社を紹介してしまったことが

ずっと心残りで、😭



遠かったですが、

やっと来れました‼️


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この透明度!


今回のお礼参りの旅は

珠洲にある須須神社を参拝して

お終いになります。




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須須神社

こちらにお祀りされている

ミホススミノミコトにご挨拶です。


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社叢が天然記念物に指定されているということで、

鳥居を潜ると、木漏れ日でキラキラ輝いていました。

神様、喜んでくださっているのかしら。🤗


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ミホススミノミコトという神様、

未だに男性の神様なのか、女性の神様なのかわかりません。

古事記で記載の少ない建御名方命の幼少期の名

という説を当てはめるのが、一番自然なのですが、

出雲でも女神説があるように、

奴奈川姫の血を継いだ、巫女的要素も感じます。



私は拙書に「美保神社の美保造の社殿の形態からも、

ミホススミノミコトは男女の双子ではないか?」

と書きましたが、

これは、どうやら業界では新説だったらしいです。笑




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さて、参拝が済んで、

家に帰ろう!と、車のナビを自宅にセットすると、



びっくり。



鳥居の真正面の海の方角に

矢印を示しているではありませんか。

この鳥居の正面、延長線上に我が家があるらしいのです。



私はてっきり、須須神社は外海に向かって建っている

と、思い込んでいたので、驚きました。


母神の里に向いて建っているとは‼️


ミホススミノミコトが守っていたのは

越の海だったのかも知れません。



この後、ナビでは自宅の到着予定時刻が

深夜11時半となっていたため、

急いで珠洲を後にしました。

ところが、高速がところどころ開通していたおかげもあり

あれよあれよという間に、羽咋を過ぎ、氷見を過ぎ、、、

8時半には糸魚川へ到着!


なんと、

ちょうど富山県朝日町の講演会を終えられた

古事記現代語訳でお馴染み

三浦佑之先生と合流でき、

先生と半年ぶりに喜びの盃を交わしました‼️


間に合うと思っていなかったのですが、

よかったです❣️


三浦佑之先生は、今月号の

雑誌群像の連載にて、

数十年をかけられ研究されてきた古事記について

まとめはじめられています。


期待していてください!とのことです❣️








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お礼参りin能登③ 真脇遺跡と数奇屋の原点

 【29//2017】




能登の真脇遺跡へやってきました!



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三匹の子ブタちゃんたち、

興奮のあまり走っていってしまいました。笑


藁の家を作るのか。

木の家を作るのか。

レンガの家を作るのかー。



強風に耐えれるばかりが「いい家」とは限りません。


藁や木の家が歪んでくれば、

日本人は、それを「わび、さび」と呼んで

重きを置いたりもします。





今日は、記事が長いですが、我ながらいい話です。


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真脇遺跡は、縄文の巨木信仰跡の遺跡で

諏訪大社のおんばしら祭のルーツ!!



であろう、ということで、


今回の旅の目的は、お諏訪さまへのお礼参りですから

ここへは必ず来ないと!と思い、やってまいりました。




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すごい!


5000年の間、

縄文の人たちがこの真脇に住み続けたのですね。



5000年です!

真脇の人たちは、イルカの群れを追込み、

食べていたといいます。


なんと、このイルカ追込み漁法

昭和30年代までこの地で行われていたといいます。



もし縄文から追込み漁をやっていることが証明できれば、

世界ユネスコの無形文化財級の日本の宝‼️

ではないかと思うのですが、(◎_◎;)?!

そう感じるのは私だけでしょうか。



真脇遺跡の縄文人は、イルカの他にも、マグロやカツオ、

ブリ、美味しいものは何でも食べていた

グルメ人だったようです。


イルカの骨は、おそらく煮て、

骨の髄から膠を取り出したあと、

背骨に放射状にスジをつけて、小さな孔をあけ、

ペンダントなどに加工していたようです。

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出土品のイルカの背骨のペンダントトップに

触らせていただきました。



お洒落の為に❤️と考えると現代的ですが、

次の漁が、うまく行きますように、

命がけでイルカを獲って、いただいた命、

自然や神へ感謝と願いをこめて🐬

お守りとして首から下げていたのだと思われます。


縄文人にとっても、

イルカは頭が良くてかわいい生き物だったはず!

だから余計に命の重みを感じていたのではないかと

想像してしまいます。




この場所も、ここに住む縄文の人々の心も

豊かであると感じます。



間違っても、


捕鯨反対ー!💢

諏訪大社の蛙狩り神事反対ー!💢


などと反対ばかりして、

動物や神、自然に感謝するという根本的なことを

忘れてしまうような人間には、育たないはず

と思います。



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驚くことに、この真脇遺跡には

縄文時代すでに全国各地の土器が集まっていて、

この地が、物流、交流の為の

「海のハイウェイオアシス」

のような存在であったことが伺えます。



ここオリジナルの真脇型土器と呼ばれるものは、

私ども新潟県から出土する火焔型土器のような

ダイナミックさには欠けるものの、

繊細な模様と比較的薄作りで丁寧に作られた

惚れ惚れするような美しい芸術品とも言える土器でした。

きめ細かい細工が出来るのは、能登の土がいいのもあるのでしょうね‼️


真脇型土器、形も御柱なのかしら?




真脇遺跡では、

柱をふくめた出土品の数多くが、国の重文指定ということで、

写真を撮るにあたり申請書を書かせられましたが、

撮影理由は個人で楽しむ為ということにしてしまった為、

ここで紹介できないのが残念です。


全国から集まったものは、勿論土器だけではなく

装飾品や生活用具などの出土品も。



そうです!



糸魚川産ヒスイの玉!!

下諏訪産黒曜石の鏃!!




やっぱり、セットで登場!


糸魚川にも寺地遺跡という縄文の巨木信仰跡の遺跡があり、

金沢市にも、やはり同様に巨木遺跡、チカモリ遺跡があります。

そして

諏訪のおんばしら祭に繋がっている!!


でしょう!!



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連休だというのに、この素晴らしい遺跡には

私たちの他に誰もいませんでした。



縄文の巨木遺跡は、

青森の三内丸山遺跡だけじゃありません。



真脇遺跡、チカモリ遺跡、寺地遺跡!!

巨木遺跡、全国四ヶ所のうちの三ヶ所は



越にありますっ‼️



とはいえ、この時代に越という区分は

まだ無かったでしょうけれど、

これが弥生へ繋がるということを念頭に置いておかなくてはなりません。

ヒスイも黒曜石も、弥生に繋がっているのですから。


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とりあえず、ここに来たら

寝転んでみます。


草だらけになって、最高に気持ちいい〜🤗



青空のパワーが、おんばしらを依代にして

まるで、自分に集約されているみたい。



自然と、神とも、

一体になれた気がしました。



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そして、まだまだ見どころがありました‼️

遺跡の横にあるこの小屋は、

な、な、なんと‼️

鉄を一切使わずに建てられたのだそうです。


えーーーー!!👂



我が耳を疑いました。


鉄斧さえ使ったことのない

現代っ子の私には、考えられません💦


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もちろん、木の伐採から、

手作りの石斧を使用したのだそうです‼️

すごーい‼️


これを建てたのは、自分達だというおじさん二人。

あれこれ話していたら、

楽しくて小屋から出られなくなってしまいました。



上の梁ほどの太さの木を切り倒すのに、

だいたい石斧で30分くらいかかるのだそうです。

チェーンソーなら20秒もかからないところでしょうか。


世界でたった一つの小屋ですね‼️




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小屋は二階建てで、

荒々しい石斧の手斧削りで作られたハシゴを経て、

二階に登れる仕組みになっています。



壁は隙間を土で埋め、20センチくらいの厚さで壁を作った後、

その上から屋根を吹いているのだとか。


これぞ、元祖、数奇屋作り‼️

元祖、手斧削り‼️



😭




さて、ところで、みなさんは

茶の湯の「数奇」とか「サビ」の語源が、

スサノオ命の「スサビ」からきていることを

ご存知でしたでしょうか。


私め、ある雑誌を読んで、最近知ったのですが、

荒々しい、凄まじいという意味のスサビに対して、

物静かな茶の数奇やサビは、まるで結びつかなかったのです。


しかし、

この小屋の荒々しさは、まさしく「数奇」という言葉になる前の

「スサビ」である‼️

と確信致しました。


千利休は古代人の心をもった人だったのですね。

ここにいると、自然と一体、自然に守られ、

自然の中に生かされている感じがします。


自然と一体という意味では、

新潟県出雲崎町が誇る良寛和尚も感覚が似ていて、

良寛は、数奇という言葉が今みたいに固定化される前の、

奇人的な数寄者なのだ、笑、と、私は思っています。



大切にしながら自然を楽しむのか、

自然のまま自然を楽しむのかという違いはありますが。




かの先代旧事本紀を現代語訳された志村裕子先生は、

古いものを大切に大切にする

茶の湯の精神の根源は、

三種の神器を伝来する心にあることを

指摘していらっしゃいます‼️


😭



ちなみに、こしひかりの家の茶室は、

祖父が柱一本から蒐集して作った数奇屋作りです。


小間を増築の際に、

柱に手斧削りを施そうということになったのですが、

もう手斧で削れる職人さんが京都にしかいないということで、

柱を全部、京都へ輸送。

当時、手斧で一面削るのに2万5千円。

柱なので一本につき四面あって、その柱が何本あったか、

兎に角、削るだけでめちゃくちゃお金かかったー!

(だから大事に大事にしてよねという意味で)

と嘆きの声を先祖から聞いています。


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我が家の茶室、小間「聴松庵」の、

手斧の柱と藁スサ混じりの土壁です。

藁スサのスサは、まさしくスサビから来ていて、

ここから数奇や、サビいう言葉になったのではないかなぁーと。



個人的には、待庵のように

もっとスサを粗くしてほしかったのですが。😅

手斧の柱にも、怖いので一切、手は触れていませんが、

毎日濡れ雑巾で拭いてあげれば、

春慶塗りを施したような、つやつやの柱になるのでしょうね。




古いものを代々継承する心は、三種の神器から。

ボロボロの茶器が、三重の箱に入っていたりして、

そういったものでも、私はわりと平気で普段使いにしてしまうので、


箱なんて邪魔くさいなぁ、

と思ってしまっていましたが、道具に失敬な話でした。😅


茶道具は、三種の神器と一緒で、

古い古い国の宝を預かっているんだ!

くらいに、思わなくてはならないのかもしれません。


思いがけず、草薙剣を預かってしまった宮簀媛のように。😅




自然の劣化は、もはや仕方ないとしても、

大事なのは、受け継いでいこうとする精神なのですね。😭



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さて、話を戻しますが、

よく遺跡に建っている、古代を再現して作った住居というのは、

ジメジメしていてカビ臭くてクモの巣かかっているのが典型的です。


ところが、この小屋は、本当にそれとは間逆で、

風通しが良く、からりと明るく、とても居心地がいいのです。


おじさんは誇らしげに

風通しの穴が四ヶ所あいていて

開閉できる仕組みを説明してくださいました。

すまいを快適にする、元祖、窓!といったところでしょうか。


日本人は、工夫をどんどん形にして、

それを受け継いできているのだと、改めて感じました。



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縄は、苧麻を編んでこしらえたそうです。

これにも感動!

昭和村でしか栽培していない苧麻繊維を

どこから手に入れたか訪ねると、

福島県の昭和村まで行ってきた!とのことで

びっくり!


恐れ入りました〜!!!!!



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息子よ、

よく見ておきなさい。

これが、日本の数奇屋建築の原型なのだよ。

と、言いながら、

自分でも、そうだったのかー‼️を連発していました。


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おじさんの携帯より

これが、この小屋の、骨組みの時の写真。


柱を建て、桁を渡すと、鳥居になる。

これこそ日本の建築の原点ではないか。

などと、拙書に偉そうなことを書いてしまいましたが、

的はさほど外れてはいないかも、などと頷いてしまいました。


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これが、小屋を建てる時に使ったという石斧!!


膠で接着したのかと思いきや、

はめ込んでいるだけだそうです。


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このおじさん、

真脇遺跡の発掘作業で自分が掘り出した

模様入りの粘土ビーズの写真まで見せてくださいました。


さすが、真脇の人!

恐れ入りました!!!!!



私はこの遺跡から、

たくさんのことを教わりました。



連休なのに、こんなに素晴らしい場所に誰もいないなんて、

なんて勿体無い‼️

私は声を大にして言いたいです‼️



日本のみなさん‼️

是非、真脇遺跡へ行ってみてください‼️











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お礼参りin能登②

 【28//2017】

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今度は、邑知地溝帯

南側の対岸へ

こちら藤井という集落の鎌打ち。

小谷村のなぎ鎌打ちと共通していえることですが、

二ヶ所というのは、何か意味があるのでしょうか。



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たくさんの鎌が打ってあり、異様な感じがします。

神木が太り、めりこんでいるものも。

こちらの鎌打ち神事は七年目に一度ではなく

毎年ということで、数が多いと迫力がありますね。


鎌の形状は、小谷のなぎ鎌神事に使われるなぎ鎌と、

ずいぶんと異なります。


能登の建御名方命伝承で興味深いのは、

建御名方命が左鎌(左利き)と伝えているところです。


一般の方にはどうでもいいと思われる伝承かもしれませんが、

私はこういった伝承を知りながら

古典や伝承になるべく忠実に絵を描いているつもりです。

ということで、

私の絵の建御名方命は全て左利きになっています。🤗


イメージだけで絵を描いたら、

神様に失礼と思うものですから。。。




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すぐおとなりは、宮内庁が管理する

崇神天皇の御子、大入杵命陵墓です。

陵のまわりを歩いてぐるりと半周したのですが、

能登瓦の古い街並みと相まって

とても明るくいい雰囲気でした。

大入杵命、とてもお幸せそう。


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大入杵命は、国造の祖として

能登の方々に手篤く葬られたのでしょうね!


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向かい合わせにもう一基。

前方後円墳のようでした。

被葬者は記していませんでしたが、

大入杵命の陵墓に引けを取らないほど立派な古墳です。


真ん前のバス亭には、おりひめバスとあります。

おりひめバスとはナイスネーミング!

この地に能登上布を伝えた大入杵命の妹、

渟名城入姫命のことと思われます。


ということで、渟名城入姫命の陵かとも思ったのですが、

姫の治定陵墓は奈良県にありました。



日本書紀によると、崇神六年、

宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが、

崇神天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした。

天照大神は豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に祭り、

倭大国魂は渟名城入姫命に預けて祭らせたが、

姫の髪は落ち、体が痩せて祀ることができなかったという。


渟名城入姫命はすっかりこの記事のイメージなのですが、

この記事の後、

そのまま奈良で亡くなられたのかなと考えると

能登にいらしたのはこれより前だったのでしょうか。



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お参りしようと柏手を打つと、

お堀の鯉が

「餌ちょうだい!」と言わんばかりに

たくさん集まってきました。



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参拝が済み、今度は社殿が室町時代末期建立で

国の重文に指定されているという

松尾神社へも立ち寄りました。


渟名城入姫命と能登上布のことを考えていただけに

もとは松尾ではなく松苧(まつお)神社かも!と、

一瞬期待が高まりました。


※奴奈川姫の織姫信仰では、時代とともに、
松苧→松尾神社になり
祭神もオオヤマクイ命に代わってしまったケースが
多いのでした。


ここは、やはり松尾神社ということで、

オオヤマクイ命とタマヨリヒメをお祀りしていました。



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でも源流をたどれば、松苧神社と織姫信仰が

あったのかもしれません。←あきらめない



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